コンテンツにスキップ

「けん玉発祥100周年」発祥の地 はつかいち

History of
Kendama
けん玉の歴史とはつかいち

1600年以前

発生は中国といわれているが、16世紀のフランスにおいて王貴族の男女がけん玉で遊んいる様子が鮮明に描かれている銅版画が残っている。古代人はけん玉の穴を棒先で刺すことで狩猟訓練の用具として使用していたといわれている。

1777年 安永6〜7年

日本で初登場したことが、文献「嬉遊笑覧」に記載されており、主に酒席の遊びとして用いられていた。

1876年 明治9年

1876年 明治9年

1907年 明治40年

日本で流行した。 (棒と玉だけのけん玉)

棒と玉だけのけん玉

1921年 大正10年

大阪在住の江草濱次氏(呉市出身)が当時家具の小物を製造していた廿日市の本郷木工(現株式会社本郷)に来訪、江草氏が実用新案を取得した図面と玉と棒だけのけん玉を持ってこられて製作を依頼した。本郷東平氏により初めて今のけん玉が削りだされた。
日月ボールとは、玉と棒だけであったそれまでのけん玉に、受皿を取り入れたものであり、現在のけん玉の形の誕生である。(けん玉の発祥、けん玉発祥の地はつかいち)

本郷東平氏
本郷東平氏
日月ボール(復刻版)
日月ボール(復刻版)

1924年〜1929
大正13年〜昭和4年

これまで、けん玉はすべて手作業で製造していたが、1924年(大正13年)頃から動力の普及により、生産が向上、売り上げも上昇し、大流行となったのである。

本郷木工

1945年 昭和20年

戦後数社がそれぞれ自社製品としてけん玉製造を始めた。

1975年 昭和50年5月

(公社)日本けん玉協会が東京都田無市(現西東京市)で創立される。
(初代会長は童話作家の藤原一生氏)

1979年 昭和54年

第1回けん玉道全日本選手権大会が開催された。
(東京都田無市)

1983年 昭和58年5月

第1回けん玉道西日本選手権大会が開催された。
(熊本県小国町)

第1回けん玉道西日本選手権大会

1984年 昭和59年6月10日

第2回けん玉道西日本選手権大会が廿日市のナタリーで開催された。

第2回けん玉道西日本選手権大会

1975年〜1998
昭和50年〜平成10年

主に観光物産としてけん玉市場を席巻していた廿日市のけん玉は、時代のニーズの変遷と共に需要は激減し、それと共に製造業者も減少、1975年(昭和50年)にはわずか3社となった。
1998年(平成10年)には最後の一社も生産を中止し、廿日市におけるけん玉の歴史がその時途絶えた。

2000年 平成12年

2000年(平成12年)になると、廿日市市、(一社)はつかいち観光協会、廿日市商工会議所、が連携し、廿日市市木材利用センターでけん玉の製造が復活した。

廿日市市木材利用センターでけん玉の製造が復活

2011年〜 平成23年〜

廿日市市は、2011年(平成23年)から、毎年市内のすべての小学一年生に、廿日市市木材利用センターで製造されたけん玉を配布し、けん玉の普及を図っている。

2014年〜 平成26年〜

2000年代から、アメリカを中心に海外のストリートスポーツとしての人気の高まりを受け、はつかいちが”けん玉の聖地”として認識されはじめ、この”けん玉発祥の地はつかいち”で第一回けん玉ワールドカップ廿日市2014が開催された。その後、2015年、2016年、2017年、2018年、2019年と毎年けん玉ワールドカップを開催し、2020年は新型コロナウイルス禍でオンラインで開催された。

毎年けん玉ワールドカップを開催

2021年〜 令和3年〜

100th anniversary

「けん玉」が廿日市で造られて、100年。
廿日市では、けん玉発祥100年を記念して様々な催しやイベントを行います。
過去と未来を、人と人を、そして夢と夢をつなぐ、けん玉。
2021年が力強く笑顔あふれる「けん玉発祥100周年」となることを願いつつ、
皆さまとけん玉を楽しみたいと思っております。

参照:株式会社本郷 本郷盛人氏の回顧録から引用